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Doer(一日一食でミニマリストで原始仏教徒)

Knowing is not enough; we must apply. Willing is not enough; we must do.

ADHDのドライな人間関係

発達障害

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昔の友人? 残ってないよ

※記事のタイトルは『ADHDの~』となってますが、実質的には『ナス農家の~』だと思ってください。自分は確かにADHDですが、かといって他のADHDの方まで自分と同じかは分かりませんので。

 

さて、早速ではあるが、自分は人間関係というものが維持できない。

これまで生きてきて、仲の良くなった友人というのはそれなりにいたが、今でも関係が続いている人はないに等しい。ははは。

それはなぜだろうか?

誤解を恐れずに言えば、そもそも自分には『人間関係を維持する』という発想自体がないのである。

ドラクエ風に例えるなら、定型発達者(健常者)には『しんぼく』というコマンドが用意されているが、ADHDの自分にはそもそもコマンド自体が存在しない。コマンドがないものはどう足掻いたって実行しようがない。

ゆえに『人間関係』という概念の捉え方が根本的に定型者とは異なっている。

定型者にとってのそれは、きっと長い時間をかけて『構築・維持』していくものなのだろうが、自分にとってのそれは『糧とする』ものである。

果樹のように長い時間をかけて栽培し、定期的に収穫を得るものではなく、狩猟の獲物のように獲得して消費するものなのである。

狩猟と農耕

ADHDである自分がなぜ、このような刹那的な性質を持っているのか? 以下のソースを読むと分かりやすい。

要約すると、ADHDとは太古の狩猟民族のDNAを引き継ぐ存在であり、一方の定型者は農耕民族である』らしいのだ。

察するに、狩猟社会においては農耕社会におけるほど密な人間関係を要しなかったと思われるし、人間関係がドライなのもその名残だろう。

一期一会

もちろん他のADHDの方がどうかは知らないし、これはあくまで『ナス農家の』ケースとして理解してもらいたいがーー

仲良くなった人がいたとしても、しばらく時間が経てばこちらからはコンタクトを取らなくなり、関係も自然消滅していく。ゆえに昔からの友人は残らない。

しかし仮に、なんとか関係を維持しようとしてコンタクトを取ったとしても、自分で「物凄く不自然なことをしてるな」「無理をしてるな」というのが分かってしまうのである。コンタクトを取られた側にも何となくそれが伝わるのだろう。

そもそもADHDというのは、特性として『飽きっぽく』『興味の対象が移りやすく』『熱しやすく冷めやすい』。しばしば『瞬間湯沸かし器』とも形容される。

つまり悪い言い方をすれば、人間関係にも『飽きる』のであり、それゆえに維持が難しいのだろう。

だが一方で見方を変えるなら、そもそも定型者と自分とでは、人間関係というものの捉え方が根本的に異なるのであり、不誠実だとか怠惰だとか、そういった善悪の次元で語るべき項目ではないように思う。

自分にとっての人間関係とは、あくまで『一期一会』であり、その限られた機会の中で互いに最大の収穫を得ようと最善を尽くすものである。

いわば『突発的なイベント』に過ぎないのかもしれない。

人生は一人で孤独に生きるのが本来の自然な姿だと考えているし、実際それが一番しっくり来る。

しかし時折、互いに独立して歩んでいるはずの人生の糸が絡み合うことがあり、『袖振り合うも何とやら~』的に『縁』となるが、時が経てば絡みも解けて、また元の一本に戻っていく。

再び誰かに会いたくなり、こちらからコンタクトを取ることもあるが、それはたまたま『一期一会がもう一回あった』だけの話であり、人間関係の構築・維持とは全くの別物なのである。

結局言いたかったこと

大人のADHDの症状

対人関係に関しては総じてドライ。アスペルガー症候群のように極端な愛着を見せることはなく、割り切った付き合いをするのが特徴です。そのため表面上は友人が多く、問題なく人間関係を築いているように見えるものの、親しい友人、プライベートの分野まで深く付き合う友人が少ない傾向が見られます。

要するに『自分が人間関係についてドライで刹那的なのは、もう種族的な特性であると思ってもらいたい』ということだ。その人が嫌いだとか、そういった理由に基づくものではない。

最近は自分の方でも、それでいいやと開き直れるようになってきた。人間関係が常に『一期一会』であること、それ自体は決して悪いことではないからだ。

むしろ期間限定だからこそ、自分のような人間は「限られた機会に全力を尽くそう!」と思えるし、『縁』を大事にしようという思いが湧く。

逆に末永く続くような関係は、自分には荷が重過ぎる。負担である。無理に維持しようとしても、きっとどこかで限界が来る。長期維持よりも短期集中の方が性に合っている。

だからこれまで自分と関わりを持った人の中には、「なんて薄情な人間なんだ」と思った方もいるかもしれないが、『そういうもの』程度に思ってもらえると非常にありがたい。

自分は決して、人間関係を拒んでいるわけではないのだ。人との出会いは自分を成長させてくれるし、それは十分に理解している。

ただ、定型者と同じようにそれを長期間維持するのは不得手であり、合わないだけ。

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