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Doer(一日一食でミニマリストで原始仏教徒)

Knowing is not enough; we must apply. Willing is not enough; we must do.

無知の無知

チラシの裏

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『無知の無知』

さて先日、ある読者の方にこんなはてブコメントをいただきました。

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これら二つの記事についてのコメントですね。

結論から述べますと、この方のコメントは的を得ているところもありますが、的を外している部分もあります。

的を得ているのは『かつて21日間断食した話』の方の「タンパク質を合成するには窒素だけでなく炭水化物も必要」という部分ですね。

これについては自分は知りませんでした。ですので正確な知識を得られたと感謝しています。

なぜパプアニューギニアの原住民がイモばかり食べていてタンパク質を合成できるのか、なぜフルータリアン(果物ばかり食べる人)から不食者に至る例があるのか、それは彼らがイモや果物から炭水化物を摂取していたからなのだとすんなり理解できました。ありがとうございます。

ただ、自分のこの記事を読んだなら、後半の14日間は果物ジュース断食だったと書かれているはずなので、理屈を知ってのことではなかったとはいえ、結果的に理に叶ったプロセスを踏んでいたと思うんですが……まぁいいか。

 で、的を外しているのは『ライフハッカーの一日一食』の部分ですね。

せっかく記事中に『生玄米』という分かりやすいキーワードがあるのですから、後はグーグルの検索窓に3文字打ち込むだけでしたね。惜しい。生玄米療法とかその辺の記事はいくらでも出てきます。

もしかするとそこまでは検索したけれど、「世の中にはこんなたくさんのバカがいるのか」で終わってしまったのかもしれませんが、そこを踏ん張ってもう少し検索すれば、『胃や小腸で消化されなかった生玄米は、大腸に運ばれたあと腸内細菌の発酵分解により、各種短鎖脂肪酸に分解される』という記述を見つけられたと思います。それが正しいのかどうかは別として。

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国境の長いトンネルを抜けるとトンネルであった

さて前置きが長くなりましたが、今回の記事のテーマは『無知の無知』であります。

ですがまずは、元ネタの『無知の知』から説明します。

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古代ギリシャの哲学者であるソクラテスが残した言葉で、要は『「自分にはまだまだ知らないことがたくさんある」ということを知っている』という意味ではないかと思います。

人間の寿命はあまりに短く、世の中の全てを知ることなど到底できません。ゆえに、どのような賢人であっても知らないことなどいくらでもあります。

無知の知』とは、そういった己の限界を悟り、自分は何でも知っているなどと傲慢にならず、日々謙虚に新しい知の獲得に努めることだと思っています。

ですので、今回の『無知の無知』とはその逆バージョン。

実際はまだまだ知らないことがたくさんあるにも関わらず、自分は何でも知っていると勘違いしている状態のことです。

仏教風に言えば『無知の煩悩』ですね。

まぁ、自分も人のことは言えませんが。

不食者関連の知識については、最低限必要なだけの知識は得ているとのぼせ上がっておりましたので。体系的ではなく、断片的であるにせよ、必要な部分だけは。(実際は窒素固定に炭水化物が必要ということも知らなかったけど)

そして今回の方については、おそらく自分よりも読書量が多く、かなりディープな知識を持ち合わせていると察しますが、その自信と自負ゆえに無知の無知に陥ってしまったのでしょう。この現象は知識の多い人ほど陥りやすい罠ではないかと思います。

例えば『井の中の蛙』という慣用句がありますが、「自分はこれだけ勉強して無知から脱出した! 高い井戸を登り終えた!」と思っていても、実際に出た先はさらにもう一回り大きな井戸の中だった、的な。

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(出た先もまた井戸)

先述したように、人間が一生で知れることなど限界がありますから、真の意味で『無知という名の井戸』を脱出できる日は訪れないのでしょう。

井戸を登り終えた先もまた井戸。そこを登っても、更にもう一回り大きな井戸の底に出るだけ。

『無知の無知』は人を低迷させる

ですが自分は、出た先もまた井戸だと分かっていても、青空に近づくため登り続けることをやめたくないと思います。

なぜなら、それを怠ると頑迷で器量の狭い人間になるからです。

『自分は何でも知っている』と思い込んでいると、自分のこれまで生きてきた世界観が全てだと信じるようになり、ゆえに異なる世界観を持つ人のことが理解できず、受け入れられず、拒絶して排斥するようになるからです。

それが『無知の知』を持たぬ者の限界です。

養老孟司氏が言うところの『バカの壁』であり、もしくは苫米地英人氏が言うところの『スコトーマ』です。

ゆえに重要なのは、自分と異なる世界観に遭遇したとしても、まずはとりあえずリサーチしてみることです。「そんなことはありえない」と勝手に一蹴せず、一見どんなにバカバカしく見えることであっても、一通り情報収集してみてから結論を出すことです。

情報を集めた上で判断したのならば、「これはやはり間違っている」という結論を出しても良いでしょう。

 自分も歳を取ってもそのような柔軟性を失わずにいたいものですね。

参考資料

自分がほほうと思った記事

マトリックス

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以上

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