読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Doer(一日一食でミニマリストで原始仏教徒)

Knowing is not enough; we must apply. Willing is not enough; we must do.

『心がスーッとなるひじりんの言葉』 返答

f:id:nasunouka:20150304034342j:plain

謝罪

先日、ニコニコ動画のブロマガのコメ欄にて、このようなコメントを頂いたので回答します。

ナス農家さん あなたにどうしても聞かなければならない事がある。私はあなたを誹謗中傷するつもりは無いが、私は貴方を
強く嫌悪している。 切っ掛けは貴方の井戸掘り動画がニコニコニュースに取り上げられ、その動画を見た事が事の始まりだった。
その動画自体は大変面白く楽しんで見れたが、問題はその後だった。私は、貴方の動画を気に入りマイリスを巡回し始め、古い順に面白そうな物を選び見始めた。特に、"ゆっくり霊夢魔理沙の砂糖中毒講座"はとても面白く為になった。
だが”心がスーッとなるひじりんの言葉”を見たとき人生の価値観が大きく変わった、悪い方向に、はっきり言ってトラウマになった。
そういった価値観のもとに生きることを否定しているわけでわない、問題はその価値観を強要するかの様な言い方だ。
二次元に楽しみを求めるとこは罪なのか、アイドルやスポーツ選手を目指すことは悪なのか、夢に向かって努力したり、夢を持ったり喜ぶ事はそんなにいけない事なのか。

夢を持って生きて二次元を楽しんでいる私には、心がスーッとなるどころか痛くて苦しくて仕方がない。
貴方は、よかれと思って言ったのかもしれないが、私には、貴方の言っている事は、他人の生き方や人生を否定しネガキャン しているように思えてならない。確かに、同意する所もあり全くの間違いではないと思うがあの物言いは無い、同意する部分があっただけに余計に辛い。貴方は、ブロマガで仏教の事を知らない人向けに作ったと言っていたが、もうこんな事はやめてくれ、仏教動画だと気付かないぐらいが理想とブロマガでいって言いましたが、もうそんな動画作らないで下さい。まんまと見てしまった。
そう言った事は貴方の言う”ガチ勢”の内だけでやって下さい。
せめて、動画の最初に何かしらの注意書きをして下さい、例えば、”こういった考えに基づく生き方もあり、この生き方が
全てでわない”など、それとも、本当にそう思って言っているのですか?

あの動画を見た後、貴方のマイリスをお気に入りから消し、しばらくの間とてつもない虚無感を感じ心が痛かった、忘れようとした。だが、ふとした拍子に思い出してしまう。
あの動画を見て以降、今まで何とも思わなかった宗教を嫌うようになった、思い出してしまうからだ。
この前、テレビを久しぶりに見たら坊さんがたまたま映っていただけでネガティブになる。特に、大好きな東方のキャラ見て思い出すのは堪える。好きで見ていた”ブッダとイエス幻想郷へ行く”を純粋に楽しめなくなった。あのボカロの声が軽くトラウマになった。好きなアニメを見て楽しむ事がいけない事と言う考えが頭をよぎるようになった。
そして、今、努力をするとき、今までしてきた事やこれからする事が全てが無駄だとに思う考えが頭をよぎるようになった。

 長々と書き込んでしまったが、私は貴方に質問したい事があります。
1.貴方は、あの動画で言っていたことは、そう言った生き方もあるが生き方は人それぞれと言いたいのか。
2.あの価値観に基づく生き方が、どの生き方よりも良く、優れていると言いたいのか。
3.あの価値観を持ちながら、夢を持ったり、二次元を楽しんだり、ある程度欲持って生きてもいいと言いたいのか。
4.1~3のどれでもない違う何かなのか。
お願いです。質問に答えてください。

今回の件については大変申し訳なく思っています。ごめんなさい。

正直に申し上げて、自分の作った動画がこのような影響を与えてしまうとは思っていませんでした。その点は自分の未熟としか言いようがありません。

回答

質問から回答しますと、『1番』および『3番』です。

世界に仏教徒がいて、キリスト教徒がいて、イスラム教徒がいて、その他教徒がいて、無宗教徒がいるように、あの動画の内容は数ある生き方の一つを提示しているに過ぎません。

また、原始仏教的価値観を持ちつつも、夢を持ったり、二次元を楽しんだり、ある程度欲持って生きてもいいと思います。

まず自分自身が、原始仏教徒とは言っても『生臭』であり、自分にとって納得できる部分をつまみ食いしているだけです。教義を一字一句受け入れ、その通りに実践しているわけではありません。自分も東方は好きです。

すなわち、100%信じるも、0.1%信じるも自由であり、それを決めるのはあなた自身ということです。これは仏教に限らず、その他のどんなことにも言える話ですが。

そういった価値観のもとに生きることを否定しているわけでわない、問題はその価値観を強要するかの様な言い方だ。
二次元に楽しみを求めるとこは罪なのか、アイドルやスポーツ選手を目指すことは悪なのか、夢に向かって努力したり、夢を持ったり喜ぶ事はそんなにいけない事なのか。

夢を持って生きて二次元を楽しんでいる私には、心がスーッとなるどころか痛くて苦しくて仕方がない。
貴方は、よかれと思って言ったのかもしれないが、私には、貴方の言っている事は、他人の生き方や人生を否定しネガキャン しているように思えてならない。確かに、同意する所もあり全くの間違いではないと思うがあの物言いは無い、同意する部分があっただけに余計に辛い。

断定形 

動画中の物言いについてですが、確かに全て『断定形』の表現で述べられています。

その理由ですが、あの動画の原作書籍『心がスーッとなるブッダの言葉』(以下心ブ)は全て断定形表現で記されており、それをそのまま移植したからです。

原始仏教の立場からその教えを伝える以上、やはり『だと思う』『かもしれない』『ではないでしょうか?』といった曖昧な表現では、現実問題説得力に欠けますし、読み手も今いち釈然としません。心ブのような書籍においてはかえって不適切ではないかと思います。

確かに理屈から言えば、この世に断定して言い切れる事項などそう多くはないのですが、何らかの意見を明確に主張する際は、テクニックとして、マナーとして、しばしば断定形が適していると思います。このことは心ブに限った話ではありません。

漂白剤

また心ブについては、自分も初めて読んだときダメージを受けたのを未だ鮮明に覚えています。

「この本の言っている事はたぶん正しい。だが鋭利すぎる……!」と。

自分の場合は、一度目を通した時点で、本の内容が正しいことを心の奥底で認めていました。ですが実際にそれを受け入れるとなると、咀嚼するのに時間と苦しみが伴うのもまた事実でした。

心ブの言っている事は、自分のそれまでの夢見がちだったポワポワした生き方に真っ向から異を唱えるものだったからです。その内容を受け入れるには、まずこれまでの自分を否定することから始めなければいけませんでした。

もちろん最終的には、その教えを受け入れて現在に至り、だいぶ人生が好転し始めたわけですが、自分も経験者である以上は、あの本の白刃のような怜悧な鋭さを考慮に入れておくべきでした。

自分はオブラートに包んだ散薬を作ったつもりでしたが、きっとあなたにとっては強烈過ぎて『漂白剤を無理やり喉に突っ込まれて流し込まれたようなもの』だったのでしょう。本当に申し訳ありません。

なぜ辛いか?

もしあなたが社会経験をそれなりに積んだ社会人の方なら、自分はこう答えるつもりでした。

『ショックを受けるということは、少なからず内容の正当性を心の奥底で認めているのではないか?』と。

世の中には、二次元を楽しみつつ日常生活もきっちりこなせる方が大勢いると思われますが、そういった生き方に既に自信を得ている人なら、心ブを読んだところでそのようなダメージは受けないはずなのです。

「ふーん、そういう考え方もあるのね。まぁ俺には関係ないけど」といった感じで。

漂白剤を流し込まれても、すぐにその場で吐き出せます。

心ブを読んだ自分がそうであったように、ショックを受けたということは、おそらく本の内容が『痛いところを突いた』『土台の脆いところを打たれた』という証明なのです。

しかし先述したように、これはあくまで価値観の形成されきった人間についての話です。

あなたはまだお若い。20歳未満ぐらいだと、周囲の様々な価値観に敏感に影響され、染まっていく年代です。

ゆえにまだ、心ブの漂白剤のような内容は強烈過ぎた。そのせいでトラウマとなるほどの衝撃を受けてしまったのでしょう。

ですからせめてフォローさせてください。

優先順位

二次元に楽しみを求めてもいいです。アイドルやスポーツ選手を目指してもいいです。夢を持ったり、夢に向かって努力したり、喜んだって構いません。

ただ一点、心の片隅に留めておいていただきたいのは、それらはのめり込みすぎるとかえって苦しみに転じるということです。

二次元

まずは二次元を例に挙げて解説しますが、我々がまず優先すべきは現実社会を適切に生き抜くことであって、そういった楽しみは優先順位で言えば二の次、三の次です。

その順位付けを誤ってしまうと、次第に現実的に生きられなくなり、自分のように実社会に出てから多大なツケを払わされることとなります。

つまり何が言いたいかというと、心の中でそれら二次元に80%のめり込んでいたとしても、片隅の20%は冷めた状態のままであってほしいのです。

「これはただの絵だ」と。

非現実はあくまで非現実であることを認識し、最低限のバランスを保って頂きたく思います。それが100%に到達してしまうと、『幻想郷に行きたいなぁ』『どうすれば幻想郷に行けるんだろう』などと本気で考えるようになりかねません。

そのような幻想に陥った人間にとって、現実はこの上なく退屈で苦しいものと化すのです。

自分のような人間になってはいけません。

次に夢についてですが、そういった遠い目標を追い求めるのも悪くはないのかもしれません。

ですが夢を追い求めるにせよ、まず重要なのは現実的に地に足をつけて生きること。そのことを認識していただきたいのです。

現代はどこもかしこも『夢』『夢』言いすぎだと思います。かつての自分もバッチリ洗脳された夢追人でした。

遠大な夢を持つことでそれが原動力となり、偉業を為して成功する人もいる、それは事実でしょう。

ですがそんなものはごく一部の上澄みのサクセスストーリーに過ぎないのではないでしょうか? その原理を広範囲の人間に適用しようとすることに、そもそも無理があると思うのです。

皆が夢を追い求めたところで、成功するのは一握りです。皆が夢を追い求めていたら、皆がやりたいことだけやっていたら、社会は機能しなくなります。

夢を持つのが悪いこととは言いません。ですが一方で、それだけに生きるような人間にはなってほしくないのです。

運良く夢が実現すればよいものの、それが失われたとき、そこに100%を捧げていた人は一気に敗残者と化してしまいます。

先の二次元の話と同様ですが、心の中で80%のめり込んでいたとしても、残り20%の冷静さを常に心の片隅に留めておいてほしいのです。100%のめり込んでしまうと、夢は際限なく膨張し、『叶わないもの』という意味での『夢』になりかねません。それでうまく行く人もいますが、全体から見ればごく一部です。

ですからほどほどの距離感を保ち、『夢』などという曖昧ものでなく、どうせなら現実的に達成可能な『目標』を追っていただきたいと思います。

あえて突き進む

……とは言え、もしあなたが自分のようにのめり込むタイプの人種なら、バランスを保てと言っても到底無理な話かもしれません。特に若い頃はそういった娯楽や夢見ることが一番楽しい時期です。現に当時の自分が80%云々言われてもきっと無理だったでしょう。

例えるなら、親が子供にゲーム機をせがまれて、だけど親としてはゲームにはまってほしくなくて、だけど他の子供がみんなゲーム機を持ってる中、一人だけ持ってないのも可哀想だから結局買い与える的な?(意味不明)

もしくは『ゲームは一日一時間』と言われても、「んなもん守れるわけねーだろアホか!!」となるようなものです。

「1時間に留めるなんて器用な真似はできない、やると決めたからには24時間のめり込む!!」

 ならばあえて、とことんのめり込むのも一つの道かと思います。

とことんのめり込んで、夢を追って、それで成功できるなら何も文句などないのですから。

ただし、もし夢破れてしまったその時は、今回の話を思い出して頂きたい。

『夢』を追い求めるばかりが人生ではないのです。堅実な『目標』を積み重ねることもまた人生です。

むしろ遠大な夢を追うような生き方は、本来からすれば実現性の低い特殊な生き方に過ぎないのですから。

注意書き

貴方は、ブロマガで仏教の事を知らない人向けに作ったと言っていたが、もうこんな事はやめてくれ、仏教動画だと気付かないぐらいが理想とブロマガでいって言いましたが、もうそんな動画作らないで下さい。まんまと見てしまった。
そう言った事は貴方の言う”ガチ勢”の内だけでやって下さい。
せめて、動画の最初に何かしらの注意書きをして下さい、例えば、”こういった考えに基づく生き方もあり、この生き方が
全てでわない”など、それとも、本当にそう思って言っているのですか?

 動画の最初や投稿者コメに注意書きをする、これは本当にあなたの仰ることが正しい。反省しています。

あの動画については、『仏教』というワードを前面に出してスルーされたくない、という思いからああしてしまいましたが、それがそもそもの間違いでした。

 仏教の教えを広めるからには、どれだけ宗教アレルギーの人たちにスルーされ、伝わらなかろうと、仏教の立場であることを堂々と示すべきだったのです。

大乗VS小乗

 ただ、仰られたように『注意書きの類をきっちりする』という前提であれば、自分は必ずしもガチ勢だけに範囲を絞る必要はないと思います。

 というのも、今日の仏教には主に2種類あって、それぞれ『大乗仏教』と『小乗仏教』と呼ばれているからです。

すごく大雑把に言えば、小乗は「この教えは俺らガチ勢だけでシェアしようぜ!」という派閥で、大乗は「この教えを秘匿するなんてとんでもない! 世間に広めて新参を増やそうぜ!」という派閥です。 

そしてそれら両者とも、仏教誕生以来の永い『時の審査』を生き残り、現代に伝わっています。

つまり、どちらが正しくてどちらが悪いというわけではなく、どちらのやり方も市民権を得て認められている、ということですね。

あなたの仰られることはつまり『小乗に徹してくれ』という意味かと思われますが、注意書きをきっちりして仏教動画であることを明確にするという前提なら、自分のやっている『大乗』のアプローチもありだと思っています。

 努力の価値

 そして、今、努力をするとき、今までしてきた事やこれからする事が全てが無駄だとに思う考えが頭をよぎるようになった。

 あなたの仰られる『努力』が、いわゆる『夢に向かって邁進する』といった類のことであれば、その努力が実らないことは十分に考えられます。むしろ統計学的な確率、平均値で言えばその可能性の方が高い。

 しかし努力が『無駄』になることはありません。使い古された言い回しですが、どのような成功も失敗もあなた自身の糧となります。

むしろ努力を怠ってはいけないのです。

その努力があなたの望んだ形で実現するかどうかは問題ではない。努力をせずに時を過ごしてしまったら確実に後悔する、そのことが問題なのです。

 自分は先ほど、『夢』を追うより『目標』を積み重ねる、といった旨の話をしましたが、やはり『夢』を追いたいというならそれでも一向に構わない。

ストレートに成功できるならそれでよし、失敗したとしても、全力を尽くして失敗したのなら、思い残すことなく次のステップに進むことができる。

もしくは今更『夢』を追う気にもならないなら、社会という戦場に放り出されるその時に備え、自己投資のような『目標』に励んでいただきたい。

今という限られた時間に何もしないことこそが、一番の『無駄』なのです。

特に学生であるあなたは今、自由に時間を使える非常に得難い時期にいます。

 一旦社会に出てしまうと、ニートになるか自営でもしない限り、今ほど自由には時間を使えません。 努力し、経験値を稼ぐなら今がベストなのです。

 トラウマを植えつけた張本人である自分が言えた立場ではないのでしょうが、どうか貴重な若い時間を無駄にしないで頂きたい。自分はそう強く願います。

最後に

まず、”強く嫌悪している”と書き込んだ事や、荒い口調で書き込んだ事をお詫びします。少し時間を置いて考えてみると、あまり冷静ではありませんでした。ここに上記の事を書き込んだお陰で前より心のつっかえが無くなった気がします。
”強く嫌悪している”と書きましたが今はそうでもありません。
正確な年齢を教えることはできませんが、高校生~大学生です。
上記のような事を書き込んだのは、夢を持つ事で立ち直れた過去があるからです。
自分は、中学2年になる少し前あたりにから引きこもりになりました。原因はいじめにあったことや、新しい環境についてけなかったことです。ですが、一度、引きこもって冷静に自分を見つめ直す機会が増え、自分の本当にやりたい事を見つける事ができました。当たり前の事かも知れませんが、その時、初めて自分のやりたいように、努力して一つの物を完成させました。アニメや漫画、ゲームなどは随分心の励みになりました。そうしてようやく、そう遠くない将来そのことで食っていけるかかも知れないと、先がほんの少しだけではありますが見えてきた頃、あの動画をみたのです。あの、早苗のモデルを使ったアイドルのくだりが、特きつかった、
他の部分も同様に。

ブロマガであの動画を薬のように表現していましたが、薬は薬でも私にとっては劇薬です。
オブラートに包んでも劇薬は劇薬です。人によって薬かも知れませんが私には毒にしか感じません。
タグに”東方” ”さとうささら” ”MMD”一見そう言った動画だと気づきません。タイトルもそうです。
そもそもニコ動は、何かしらの娯楽、楽しみを求めて来るサイトなのに、喜怒哀楽はいけないや、
二次元はだめと横槍を入れるのはどうかと思います。

重ね重ね、あなたには申し訳ないことをしたと思います。

 ですが最後に、なぜ自分がわざわざニコ動という場所で、ああいった動画を投稿しているのか、その点も説明しておこうと思います。

まず率直に言って、ニコニコ動画のような過剰な娯楽は、トータルで見たら人生の苦しみを増やすことの方が多いように思います。ほどほどに自制できるなら問題はないのですが、中毒性の高い娯楽の前ではなかなかそれも難しいでしょう。

もし我々が、幻想郷のような場所で一生面白おかしく暮らしていけるなら、ああいった娯楽に浸って生きるのも悪くないのかもしれません。

ですが我々の生きる現実は、残念ながら楽しいというよりは、むしろ苦しいことや辛いことの連続です。特にネット界隈などを見回すと、生きる苦しみに押し潰され、歪んでしまった敗残者たちが腐るほどに溢れかえっています。

そのような状況下で、過度な娯楽に救いを求めることは、かえって現実に戻る苦しみを増大させ、生きることを難しくすると考えます。……自分がそうでしたので。

娯楽から得たものや、学んだものも決して少なくはないのですが、その一方で『もっと早い段階で必要な知恵を身につけていれば、ここまで苦しまずに済んだのになぁ』と思うのも事実なのです。

自分は娯楽に傾倒しすぎたかつての自分を反省しています。

ですから自分は、同じ辛酸を舐める人を一人でも減らしたいと思い、今の活動をしています。あえてニコ動という場を選んだのもそれが理由です。

そして見るか見ないかは全て視聴者の自由です。件の仏教動画の、仏教アピールを怠った点は過ちであったにせよ、そういった点さえ改善するなら、ニコ動で活動することに何ら問題はないと考えています。

 

以上

広告を非表示にする