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Doer(一日一食でミニマリストで原始仏教徒)

Knowing is not enough; we must apply. Willing is not enough; we must do.

人生が変わる! 瞑想入門 ー後半ー

皆様こんばんわ、ナス農家です。
今回は自分のブロマガ至上最低閲覧数を記録した、瞑想シリーズの続編です。

え、需要?

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ここでは俺がルールだ! だから俺が書きたいものを書くのだ!
たまには仏教ネタも入れないと、タイトル詐欺になるだろ!!

とりあえず前回の記事はこちらです。
『人生が変わる! 瞑想入門 Part1』
前回は具体的なヴィパッサナー瞑想(以下V瞑想)のやり方まで説明しました。

では今回は、V瞑想によって『現在に気づく』ことのメリットを説明しましょう。

 V瞑想のメリット

1.集中力が増し、作業効率が上がる
2.感情を制御できるようになり、ストレスに強くなる


「え、たった2つだけ?」と思ったアナタ、甘いです
これらはいずれも、人生ゲームを攻略する上での強力なスキルとなります。
もしかしたら下手な自己啓発本より、よほど助けとなってくれるかもしれませんね。

順番に説明していきましょう。

1.集中力が増し、作業効率が上がる

V瞑想により『現在』(いま)に気づくと、これまでオートマチック処理的に流れていた時間が、リアルタイムに肉薄して感じられるようになります。
ただ呆然と何となく過ごしていた時間が、真剣勝負のような濃密な一瞬一瞬へと変貌するのですね。

例えばサイボーグ009という漫画には、『加速装置』なる架空の機構が登場しますが、V瞑想も似たようなものです。
他人と同じ時間を過ごしているはずなのに、その人は集中力が鋭敏になっていますから、同じ1分間でもこなせるタスクの量が違います。
正確には、他人がぼうっとしたり別のことを考えて時間を浪費している間にも、現在に生きている人は着々と作業をこなしているということです。
よって第三者からすれば、その人がスピードアップしたように見えるのです。

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(※画像はあくまでイメージです)

また集中している人は、動作が精密になり、ミスも少なくなります。
現在に生きている間は、過去や未来のことを妄想せず、目の前のタスクだけに集中できます
から、当然といえば当然のことです。

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(※画像はあくまで(以下略))

そして実際に、V瞑想を作業中に行う方法ですが、分かりやすいように自分の例を挙げましょう。

自分は現在、物流センターで事務員をやっていますが、現場の手伝いで商品の梱包をすることがあります。
商品のバーコードを読み、箱を取り、商品を詰め、緩衝材を入れ、チラシや納品書を入れ、箱を閉じ、テープで止め、佐川急便の送り状を貼り付け、コンベヤに流す、といった一連の工程です。

このような作業中は、呼吸をトリガーにしてもいいですが、むしろ視覚や触覚に重きを置いてV瞑想します。(呼吸は座禅などの静的なV瞑想に向いている)
例えば、箱を取ったときは指の平に触れるダンボールの感触を感じ、商品を取ったときは手首にかかる重さを感じ、テープ止めするときはテープを引っ張る長さを意識する。
商品を詰めるときは商品の配置を見て、送り状を貼るときは送り状の名前が間違っていないか確認する、といった具合です。

とは言え、作業中常にこんなことをしていたら、未熟者の自分は精神が疲弊してもちませんから、特に気を引き締めたいときやミスが許されないときに限定して行っています。
それ以外の時は、せいぜい指の平に当たる物の感触を意識する程度でしょうか。

それに上記の梱包作業程度ならまだしも、俗に言う『刺身の上にタンポポを置き続けるだけ』のような仕事ともなれば、単調すぎて集中を保つのは辛いでしょう。
それでもやろうとすれば、タンポポを置いた数を数えたり、タンポポの重さを指先で感じるなど、全く不可能というわけでもないですが。

常にV瞑想しようなどと気張らずに、自分のペースで、要所要所で活用されるのが良いかと思います。

2.感情を制御できるようになり、ストレスに強くなる

まずは遠回りになりますが、そもそも人間はどうして感情を抱くのかを大雑把に説明します。

人間の心には『自己』や『真我』などと呼ばれる認識の主体が存在します。
そして認識の主体である『自己』が五感を通じて世界を認識することで、諸々の『感情』が発生するのです。(ひいては感情の集積が『自我』を形成する)
嫌な奴に会ったときは怒りが(視覚)、彼女と手を繋いだときは楽しさが(触覚)、バカにされたときは悲しみが(聴覚)、おいしいものを食べたときは喜びが(味覚)、といった具合です。

『自己』も『感情』も、同じその人に属する要素なのは確かですが、決して『自己』=『感情』ではありません。
ですが人は感情が発生すると、しばしば感情と自己とを同一化させてしまう傾向があります。

例えば「ついカッとなって……」といった場合がそうです。

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ついカッとなってアフガンまで行ってきたの図)

この場合、正確にはその人の心に『怒りの感情が発生した』だけであり、認識の主体である『自己』は不変不動のはずです。自己はあくまで認識するだけですから。

ですが多くの場合、「私に怒りが発生した」とは言わずに「私は怒った」と言いますよね?

本来ならば怒りの感情が『そこにある』だけなのに、自分自身が怒ったものと錯覚してしまう。『自己』=『感情』であると結びつけて考えてしまう。
そうして問題が発生するのです。

なぜなら人は、『自己』=『感情』の錯覚に陥っているうちは、自分が怒っていることにすら気づけないからです。
自分が怒っていることに気づくには、最低でも自己と感情とを切り離し、感情というものを第三者の視点から『客体化』する必要があります。

分かりにくいと思うので、以下の図を見てください。

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このように自己と感情が一体になっているうちは、自己は決して感情に気づくことができません。
ゆえに、感情に支配され振り回されっぱなしの傀儡(かいらい)の人生となります。

ですがそこで有効となるのが、『気づきの瞑想』であるV瞑想なのです。

V瞑想は気付きをもたらし、そして気付きは自己の立ち位置を明確にします。
それはいわば、無知の暗闇の中に差す一条のスポットライトのようなものです。

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こうして初めて、自己は感情を認識し、客体化することができるのです。
感情の傀儡から解き放たれ、その動きにいちいち振り回されずに済むようになります。

例えば怒っているとき、実際に呼吸のV瞑想を行ってみると、『確かに依然としてそこに怒りの感情は存在しているのに、それが客体化して第三者視点で感じられる』という、不思議な心理状態に気付くはずです。
例えるなら、自己と感情が透明なガラス一枚隔てて向き合っているような感じです。

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この図のように隔離されていれば、いくら感情がわめきたてようとも自己は影響を受けずに済みます。
V瞑想の度合いが深まれば深まるほど、この透明ガラスもより分厚く、より堅固なものとなるでしょう。

そしてしつこいようですが、更に表現を変えます。

人間にとっての感情とは、しばしばストレスをもたらす原因でもあります。
例えば誰かに罵倒されたとき、あなたの中で怒りや悲しみといった負の感情が暴れ周り、あなたの自己にストレスを与えるでしょう。

その時の感情とは、あたかも飼い主(自己)を引っ張りまわそうとする『ケルベロス』(三つ首の猛獣)のようなものです。

そして3つの首はそれぞれ、『貪欲』『怒り』『無知』という名の三大煩悩です。

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そしてこの場合、V瞑想による気付きとは、飼い主が握っている手綱を手放すことです。
手綱をぎゅっと握り締めるから振り回されるのだと、そう気付けばいいだけの話なのです。
手綱さえ手放してしまえば、後はケルベロスは勝手に暴れまわるだけですから、疲れておとなしくなるまで放っておけばよいでしょう。

大人しくなった頃のケルベロスは、すっかり小さくなってチワワ並みの脅威度にダウングレードしています。

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この状態なら手綱を握って散歩しても安心ですね。

もしくは車の運転に例えるなら、V瞑想とはクラッチ操作のようなものです。
感情という名のエンジンが高速回転していても、気付きという名のクラッチペダルを踏むことで、その力が車輪(自己)に伝わるのをカットすることができる。
後はガソリンがなくなるまで、勝手にエンジンを空転させておけばよいのです。

よってV瞑想を通じ、気付きのコントロールが可能となれば、理論上はどのような負の感情が発生しようと、自己はそれらと無縁の穏やかさでいられるということです。
『私は怒っている』ではなく『そこに怒りの感情がある』状態。

あなたがあなたに怒ることを認めない限り、あなたは決して怒っていないのです。

ですから何かストレスを感じた時は、呼吸のV瞑想を行い、今感じている負の感情をガラス越しから観察していましょう。
最善はそもそも負の感情自体を発生させないことですが、お釈迦様レベルでもない限り難しいと思うので、それらが発生すること自体は結構です。
諸々の汚い言葉が暴れまわっても、決してそれらの感情と自己を同化させないことです。

「苦しいときは、ただ苦しくありなさい。苦しいことに苦しくなってはいけない」という金言もあるように、全ての苦しみは苦しみと同化することから始まるのです。

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まとめ:『心頭滅却すれば火もまた涼し』

 

非常に長くなりましたが、メリットの説明は以上です。

ですがあくまで重要なのは、単なる知識に留めずまず実践することだと思いますので、興味のある方は座禅でも組んでみてはいかがでしょうか?

座禅のように静的な状態なら、呼吸のV瞑想が効果的です。
溜まったストレスを解消したいとき、ただ呼吸の流れに意識を委ね、そこにしがみついてさえいれば、少しずつではありますが荒れ狂った感情がダウンサイジングしていくはずです。
それらの感情をガラス越しに優雅に眺めていましょう。

ニコニコには座禅の動画も投稿されているようです。



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