読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Doer(一日一食でミニマリストで原始仏教徒)

Knowing is not enough; we must apply. Willing is not enough; we must do.

我が生涯に一片の悔いなし

わたくしごと

f:id:nasunouka:20150318022914j:plain

つい先日、あるニコニコ会員さんからフレンド申請を頂きました。
その際、申請文に書かれていた内容が強く心を打ったので、ブロマガ記事という形で書き記させていただきます。

 

文章をそのまま公開するのはマナー違反なので、概要だけとなりますが、その方は高校卒業後、クリエイター業を志望して努力されたそうなのですが、挫折し、その後も失意の中で日々を過ごされたとのことです。
ですがある日、自分の投稿した動画(おそらく人生クソゲー)を見て以来、少しずつ何かが変わり始めたとのことで、その件でお礼の言葉を頂戴しました。

自分がこれまで活動してきた中で、誰かに感謝されたのは決して初めてではないのですが、なぜか今回はやけに報われたというか、肩の荷が下りる思いがしました。

きっと自分の中での『真の目的』を達成したからでしょう。

自分もかつてクリエイターを目指し、挫折した経験があります。
その頃に味わった艱難辛苦のトラウマが、今の自分を情報発信活動へと駆り立てているわけですが、実のところその中核にあるのは、『あの頃の若く無知な自分を救いたい』という自己愛の感情だったりします。

もちろん、現在の自分が過去の自分を救うなど物理的に不可能なわけですが、もし昔の自分が今の自分と同じだけの知恵を手にしていたら、もう少しましな人生を送れたんじゃないかと、そう思わずにはいられなかったのです。
活動の場として、わざわざブログではなくニコ動から始めたのも、「昔の自分が見ているとしたらこのようなコンテンツだろう」と思ったからです。
正確に言えば『昔の自分が』ではなく『昔の自分と似たようなタイプの人間が』ということですが。

そういった人たちに自分の動画を見てもらい、それで何かしらの影響を与えられたなら、自分の勝ちというか、かつての自分の無念を晴らせたと納得できる。
大げさに言うなら、『人としてこの世に生まれた使命』『知る者の責務』を果たせたと確信できる。

今回フレンド申請を頂いた方は、自分勝手な見方かもしれませんが、かつての自分にかなり近いものというか、他人とは思えないシンパシーを感じましたので、その方に影響を与えられたという事実が、肩の荷を下ろしてくれたのでしょう。

なんというかもう「いつ死んでもいいや」的な清々しさです。

もうやり残したことはない。
仮に明日が寿命だったとしても、「我が生涯に一片の悔いなし」状態で逝ける。
死後の世界があったとしても、少なくとも地獄行きにだけはならない、胸を張って閻魔様とも会話できる、そんな無条件の自己肯定感。

もちろんまだまだ死ぬつもりはないですし、生きている以上は仏教徒としての務めを果たしていくつもりですが、それでも最低ノルマ分の善行は果たせた。という気持ちでいっぱいです。
あとは最後の瞬間が訪れるその日まで、どこまで善行を積み、どこまで徳を高めていけるかのゲームでしょう。

残りの人生、良い意味での『おまけの消化試合です。

広告を非表示にする