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Doer(一日一食でミニマリストで原始仏教徒)

Knowing is not enough; we must apply. Willing is not enough; we must do.

サザエさん症候群はなぜ発生するか?

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仏教的(?)見地から考察していきましょう。

まず大前提として、この人生というゲームは、『逆説』『皮肉』に満ちている、と言えます。

例えば『おいしいものほど体に悪い』『金が足りない人ほどFXや株で失敗する』『物が豊かになるほど精神的に不幸』『楽しい時間ほど早く過ぎる』『面白いものほどやめるのがつらい』……などといった現象がそうです。

 

現に自分も、これまでこの手の現象を嫌というほど味わってきております。
具体的には、娯楽にのめりこみすぎたせいで仕事(または学校)に復帰するのが憂鬱で仕方ない、といったことですね。

これが俗に言われる『サザエさん症候群』の一種なわけですが、土日の楽しい時間ほど早く過ぎてしまい、気が付けばあっという間に月曜日となります。
それでも娯楽から離れるのが嫌で、なんとか日曜のギリギリまで粘っていると、今度は寝不足になり、月曜日が余計につらくなります。
そうして月曜がつらくなれば、今度は早く家に帰りたいという思いが強くなり、なかなか仕事に集中できず、いざ帰宅したとしてもまた娯楽にのめりこんでしまい、再び火曜日の朝に憂鬱な気分を味わう羽目になります。

というか、この記事を書く前日の日曜、久々にアニメにはまりすぎて最悪の気分で月曜を迎える羽目になりました。土日までの五日間労働が地獄のように長く感じられます……。

では本題ですが、なぜこのような苦しみが発生するのか?
それは娯楽というものが本質的に、『平均値を大きく逸脱した行為』だからです。

平均値とは言い換えれば、我々が暮らす『日常』のことです。
そして多くの人にとって。日常は退屈でつまらないものだから、それを忘れさせてくれる娯楽文化は大いに栄えます。
そのため、娯楽が基本的に楽しい行為であり、日常生活において味わえるそれを大きく凌駕しているのは、当たり前と言えば当たり前の話です。

ですが平均値を超えるほどのエネルギーは、最終的に平均値へと収束していく過程で、しばしば負のエネルギーに転ずる性質を持っているのです。

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(大体こんな感じ)

分かりにくいと思うので、別の例えで考えてみましょう。
かつて徳川家康は『人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し』と、人の世を生きることの苦しみを表現しました。
それになぞらえて、我々は皆『重荷ちゃん』を背負いながら、日々長い道のりを歩いていると仮定します。

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(重荷ちゃんと下僕の図)

ですが常に重荷ちゃんを背負ったままでは疲れてしまうので、我々はしばしば娯楽という対象に向かって駆け出し、一時的にその重さから逃れようとします。

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ただし、最初のうちはもちろん楽しく気分転換にもなるのですが、長いことそうやって遊び呆けているうち、重荷ちゃんの重さを忘れてしまって体が鈍ります。今のフワフワとした身軽な状態に慣れてしまうのです。
そしていつかは訪れる、再び重荷ちゃんを背負いなおす時(月曜日)、久方ぶりにのしかかる重荷ちゃんは本来の何倍も重く錯覚されます。
重荷ちゃん自体が重くなったのではなく、背負う側が軟弱になったのです。

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言ってみれば、この手の娯楽というのは白砂糖や軽度の麻薬のようなものです。
適量に留める分には問題なく、
一時的に嫌なことを忘れさせて気持ち良くしてくれますが、適量を超えた分はきっちりリバウンドして己に跳ね返ってきます。
結局最後には、全てのツケを支払わされる羽目になるのです。


然るに、サザエさん症候群を防ぐには、あまりのめりこまないことです。
そしてのめりこまないようにするには、重荷ちゃんそれ自体の重さをなんとかして減らすことです。
重荷とは言い換えれば『苦しみ』のことですが、日常生活が苦しいものでなくなれば、そもそも娯楽に依存する必要もなくなるのです。あくまで極論ですが。

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あとがき

誤解のないように言いますが、娯楽それ自体が悪ということではありません。

自分も含めた多くの人にとって、全く娯楽に頼らず人生を楽しくするというのは、かなり困難なものがあるはずです。よほど明確な生きがいやライフワークを有している人を除いては。

そういったものを完全に切り捨てた人生と言うのも、それはそれで無味乾燥なものに陥る危険性があります。

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