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Doer(一日一食でミニマリストで原始仏教徒)

Knowing is not enough; we must apply. Willing is not enough; we must do.

"「艦これに熱中している青年たちに告ぐ」茂木健一郎氏が艦これについて語る" に思う

気になったニュース

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※今回はニコニコのブロマガ記事への感想文です。
過激な物言いが多いので、八割ぐらいに受け取っていただけると良いかもしれません。

艦これ】「艦これに熱中している青年たちに告ぐ」茂木健一郎氏が艦これについて語る
http://kanmusu.blomaga.jp/articles/28854.html

この記事中において、茂木氏はこのように締めくくっている。

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まずこの記事に対しての自分の感想を述べると、「熱中していることを深く掘り下げなさい」
「熱中していることを一生懸命やりなさい」といった旨の主張には、同意である。

ただし、その主張に至るまでの思考プロセスは、氏とはいささか異なる。
この主張に対して、自分は氏よりも懐疑的である。

なぜかと言えば、自分自身がかつて若いころ、ゲームにひたすらのめり込み、大学を中退してまでクリエイター系の専門学校に進み、とうとうWEBデザインの会社に入社してしまった人間だからである。

業界からドロップアウトした今だからこそ分かるが、正直クリエイター業界と呼ばれる世界は、ロクなものではない。
業界の隅から隅まで知っているわけでもなし、長年在籍していたわけでもなしの、ドロップアウト勢が言っても説得力に欠けるかもしれないが、クリエイターというのは少なからず人格破綻者の傾向があると思うと言うより業界自体が、まともな人格の人間では生き残れない世界ような印象すら受ける。
(もしくは業界に身を置いているうちに破綻者となっていくのか……)


極端な例ではあるが、そっち系の天才と称される人たちを考えてみると分かりやすい。
Apple社の創業者にして元会長のスティーブ・ジョブズは、MaciPadiPodなど世界的大ヒットを記録したが、彼に関わった人間からは蛇蝎のごとく嫌われていたそうである。彼もまた人格破綻者だったからだ。
そしてジョブズに限らず、大天才と呼ばれる人間は破綻者であることが多い。ジョブズビルゲイツエジソンモーツァルトなどは、医学的に見ても、皆発達障害に分類されるらしい。
(そしてこんなことを書いていると、発達障害に分類されるほど偏っていないと、上には行けない競争世界って何なんだろう……とも思えてくる)


話が脱線したが、人格破綻者の件については、たまたま自分のいた会社が悪かっただけかもしれないし、クリエイターという特殊な業界に限った話、なのかもしれない。
だがおそらく『何かに特化した人間はその分全体的なバランスを欠きやすい』というのは、他の幅広いジャンルにも少なからず当てはまるのではないかと思われる。
もしも仮に、夢や情熱を突き詰めた果てにできあがるのがあの手の人格破綻者だとしたら、一つのことに特化した人間を生み出すというプロセスには、諸手を挙げては賛同できない。

自分はやはり、『能力的に優れた破綻者』よりも、『能力的には平凡な人格者』の方が、より身近にあってほしいと思うのだ。
実際、ひとつの方向に情熱を傾けて成長したとしても、その中で成功できるのはほんの一握りなわけだし、世の中を支えているのは大多数の凡人なのである。

ただ、さすがにそのぐらいのことは茂木氏も分かっているだろうし、だから『学校の、「これを学べ」というカリキュラム学習は、それほど本質的とは言えないが、仕方がないからそっちも一生懸命やりなさい。』と記述しているのではないかと思う。
『情熱を深く掘る』と表現してはいるが、狂人になれと言っているわけではない。

だがそれでもやはり、自分が付け加えたいのは、“大半の人間にとって重要なのは『特化した成功者になること』よりも『人格を高め、周りの人間を不幸にしないこと』である“という一文なのだ。
ごく一部の、偉大な業績を残せる人間なら、多少周りの人間を不幸にしても相殺できるのかもしれないが、そうでない凡人が同じことをやったら単なる社会不適合者なのである。
(それに今回の記事では艦これがテーマだったが、いわゆるオタク文化というのは非現実を体験させて楽しませる性質のものが多いと思われるので、それらにのめりこんだ結果、他のものに比べて現実的に生きられなくなる可能性が特に高そうで怖い)

そしてこんなことを書くと、『じゃあ何でもほどほどに、節度を守ってやればいいんですね?』と思われるかもしれないが、確かにその通りである。
仏教にも『中庸』という教えがあるが、何事も偏りすぎるとろくなことにはならないのが常だ。

しかしその一方、人間というのがそんな単純な生き物でないことも自覚している。
「節度を守って、ネットゲームは一日30分まで!」 → 「はい! 一日30分で我慢します!」
「タバコやお酒は体に悪い! ほどほどにね!」 → 「はい! ほどほどに嗜みます!」
で済めば、とっくに世界は平和なのである。
ネトゲ廃人やニコ中、アル中など存在するはずないのである。

艦これもいいけど、学校の勉強もちゃんとやりなさいね?」と言われて、艦これだけやってしまうのが人間の弱さなのである。

だから最終的な結論として、自分もまた「熱中していることを深く掘り下げなさい」「熱中していることを一生懸命やりなさい」に落ち着く。
どの道、『ほどほどに嗜む』なんてことができるのはよほど器用な人間ぐらいだろうし、ほどほどに嗜める位なら、きっとそれは最初から大して熱中していない。
エネルギーの有り余っている若い頃ならなおさらだ。

情熱を向ける矛先にもよるが、特にそれが非現実を得意とするオタク文化の場合だと、過度の没頭によって現実的に生きるのが難しくなるかもしれない。
少なくとも自分はそうだったが、そうして形成されたパーソナリティのせいで、これまで大分損をしてきた。

だが一方「やらずに後悔するよりも、やって後悔しろ」という名言もある。
自分はかつての自分を悔やまないでもないが、それでもやりたいこともろくにやれず、年を取ってから「あぁ、もっと色々やりたかったなぁ」と悔いるよりは百倍マシだったと思っている。

だからとことんやればいい。
自分は茂木氏ほど肯定的にはなれず、没頭・特化することのリスクも知っているし、『特化して成功することよりも重要なことがある』と伝えたい立場ではあるが、『人生に悔いを残さない』という観点から、氏の主張に同意する。

あとがき

文中にて、『偉大な業績を残せる人間なら、多少周りの人間を不幸にしても――』という表現を使ったが、実のところ、自分は彼らの業績がそこまで偉大かと問われると、正直それすらも疑わしいと思っている。

確かにジョブズゲイツエジソンモーツァルトなどは、多くのユニークなアイデアを具現化させ、世に送り出してきたかもしれない。だがそれらのアイデアは、結局のところ人を幸せにしたのだろうか?

これまで数千年、数万年をかけて、人類の文明は発展し続けてきたが、仮に現代人と原始人に幸福度テストをやらせてみたら、そこに明確な差が生じるだろうか?
文明が数万倍発達している分、幸福度も数万倍になるだろうか?
そんなわけがないのは、ちょっと考えれば分かる話だ。

良くも悪くも、人間は『慣れる』生き物である。
『おいしいものが食べられるようになった』『遠い国まで一日で行けるようになった』『治らなかった病気が治った』と、一時的にそれらが幸福をもたらしてくれたとしても、結局時間が経てば当たり前になってしまい、これといって感動もしなくなる。
むしろ『もっとうまいもの食いたい』『職場まで片道1時間、だるいわ~』『人生長すぎるから死にたい』となり、不満や不平を漏らすのが人間である。

これまでの人類の偉大な業績も、長い目で見ればその程度のものに過ぎないのかと思うと、やはり本当に重要なのは、何かを成し遂げることよりもまず『日常を真っ当に生きること』ではないかと思えて仕方ないのだ。

※かつてうpした動画で、スティーブ・ジョブズを引き合いに出して語ったこともありましたが、ごめんなさい。あの頃とは彼に対する見方が変わってしまいました。
人間は日々成長するもの、ということでご了承願います。

さらにあとがき

今回は少し方向転換し、ブロマガ記事を参照して書いてみました。

というのも、これまでのように自分の身の回りのネタだけで文章を書いていたら、遅かれ早かれネタが尽きるのは明白だからです。

これからも気になるニュースがあったら、それに寄生(パラサイト)する形でブロマガを書いていきたいと思います。

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