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Doer(一日一食でミニマリストで原始仏教徒)

Knowing is not enough; we must apply. Willing is not enough; we must do.

職業訓練校で鍛えてます

資格

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約2か月ぶりとなります。ナス農家です。

今回はサラッと、職業訓練校に通っている近況について報告しておきます。

訓練校の概要

結論から申しますと、自分がこの2か月間、今いちブログを書く気になれなかったのは、訓練校が思いのほかストレスのたまるものだったからです。

まず訓練校の受講コースは『国際コミュニケーション・貿易実務課』というもので、貿易に携わる企業で事務方として働くためのスキルを身に付けるものです。倍率約2.5倍の人気コース。

具体的なカリキュラムとしては――

1. 『荷為替手形』『インボイス』『B/L』『I/P』などに代表される、貿易関係の知識及び書類作成の技術を学ぶ授業

2. TOEICのスコアを上げるための英語の授業

3. 2/28の試験対策を目的とした簿記3級の授業

主に上記3種の複合ですが、これが週5の6時間授業で行われています。期間は1/4~3/31までの3カ月。

これがまたしんどい。

「働くのに比べたらマシだろ」と思われるかもしれませんが、以前の自分は週4で働いてましたので、週5は久しぶりで堪えるのと、『ジッと座って授業を聞いている』という行為が、ADHDの自分には著しく向かないからです。

ADHDは『過活動性』が特徴とされ、刺激のない退屈さが人並み以上に苦痛である)

思い返せば高校時代の自分も、座学は退屈で苦手でした。問題集を解くなどして、自分のペースで手を動かせるならば苦痛を感じずに済みますが、相手のペースに合わせてひたすら話を聞くというのが、刺激がなさすぎて集中力を維持できないんですね。

退屈で死にそうになります。

コンサータ』というADHD用の 覚せい剤 治療薬を用い、なんとか耐えている状態。

その上、諸事情あって訓練校までの通所時間が長く、片道数時間ぐらいかかります。それを毎日、週5のペースでやっているものだから、予想外にストレスが溜まるんですよね。

Now Training...

とは言え、自分は仕事をやめた翌月から訓練を開始し、給付制限を受けることなく勉強しながら失業保険をもらえている身分なので、非常に恵まれた境遇にあることも理解しています。しかも精神障碍者手帳を組み合わせているので、最大で300日まで給付が受けられます。

この機会を生かさない手はない。

よってこの2カ月間、ただ授業の退屈さと通所の長さに耐えていたわけではなく、ちゃんと必死こいて努力もしていました。資格の勉強です。

まず2/28(日)に『簿記2級』の試験があり、3/6(日)に『貿易実務検定C級』の試験があります。これら両者に合格するのがとりあえずの目標です。

そのため、主に簿記2級にシフトしてはいましたが、授業だけでなく家に帰ってからもひたすら問題集を解きまくって鍛えていたわけです。

ちなみに訓練校の授業は簿記『3級』ですが、自分は既に3級を取得していたので、許可を取って授業中に2級を自習していました。

3級を取ってから1年近くのブランクがあったため、結構忘れていましたが、訓練校に通い始めたのが良いリスタートのきっかけだと思い、改めて2級の勉強に着手したわけです。

現時点だと、簿記2級と貿易実務検定C級に受かるのはほぼ確実だと思われるので、見切り発車で簿記1級の勉強も始めてしまおうかと思っているところ。

(普通に就職するだけなら簿記は2級で十分ですが、簿記の勉強が楽しくなってきたので、ついでに取れるところまで取ってしまおうか的な)

今回久々に記事を書く気になったのも、2級の勉強が一段落したからだったりします。

雌雄の時

もちろん、今どき資格だけ取ったところでどうにかなるとも思っていません。

しかしそれでも、今は『資格取得に専念する時期』だと割り切っています。

どの道いつかは『最低限の箔が付く程度の』資格は取ろうと思っていましたし、それを実行に移すならば、今をおいて他には考えられないからです。

掴み取った機会は最大限に生かす。

これまで、資格の取得には今いちやる気が出ず(クソ暗記の類が退屈で超苦手なため)、履歴書に書ける資格がほとんどないまま来てしまいましたが、簿記だけは例外的に暗記の要素が少なく、むしろ『理解』や『計算力』が問われることが多いため、楽しんで勉強を継続することができました。

2級合格はたぶん大丈夫としても、1級は6月の試験が目標なので、時間が足りず落ちるかもしれませんが、失業保険がもらえているうちにやれるだけのことはやっておきます。

最終的には、以下の資格を揃えることが失業保険受給中の目標です。

現在持っているまともな資格

普通自動車運転免許

フォークリフト運転免許

・簿記3級

・TOEIC770

取得したい資格

・簿記2級

・簿記1級(取れるか微妙)

・貿易実務検定C級

・危険物乙4

・第2種電気工事士

http://dokugaku.info/sikaku-guide/s-class/

「上記のサイトで紹介されている、実用性の高い資格は一通り取っておこう」的な発想です。

ちなみにSクラス資格として『宅地建物取引士』も紹介されていますが、先述の通り自分はクソ暗記の類が大の苦手なので、取るつもりはありません。書店で問題集をチラ見して、「あぁこれは無理だ」と。

ADHDは退屈で刺激のないことにはとことんエネルギーの湧かない人種)

それにそもそも、不動産業なんて接客業には就きたくないしな……。『不動産投資』ならばやることもやぶさかではありませんが。

失業保険について

最後に、自分が受給している失業保険についてもちょろっと述べておきます。

先日の2/20、最初の失業保険(1月分)が振り込まれましたが、約12万円でした。

訓練校に通っている間は、本来の『基本手当』の他に『受講手当(昼飯代?)』と『通所手当(交通費)』という特別な手当てが追加支給されるのですが、それでもこの額。

基本手当だけで換算したら約9万円です。

自分の計算では、基本手当だけで12万円ぐらいは行くはずだったので、どういうことかと思っていたら、自分のように仕事を辞めた直後に訓練校に通いだした場合、失業保険の『7日間の待期期間』が訓練校に通った期間と重複するため、その7日間の分だけ減額されてしまうようです。まぁそういうことなら仕方ない。

後は、支給される日が翌月の20日とかなり遅いこともあり、また一時的に借金生活に戻ってしまったんですが、一応家賃が浮いたおかげで黒字ではあるので、あと2か月ほどで返済できると思います。

とりあえず現状においては、お金を貯めることにはこだわらず、資格を取りまくって自己投資することに専念すべきでしょう。

 

以上

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B.5ライフ動画 トイレ編(完)

ニコニコ動画

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ようやく全部終わった……。

 

好きな東方BGM(星蓮船)も一通り使えたし、もはや悔いはない。

これで晴れて小屋暮らしブログから卒業できるんだな……。

(少しは書くけど)

情報提供の責務(ノブレス・オブリージュ)を全て果たし終えたことで、一つのライフハックが完成し、また次の新しいライフハックへと移行できる。(資格勉強 or FX)

 

何はともあれ、お付き合いいただきありがとうございました。

 

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【感想】僕はなぜ小屋で暮らすようになったか

書評

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前置き

以前、小屋お披露目オフ会に参加された方から、寝太郎氏の新著『僕はなぜ小屋で暮らすようになったか』(以下『僕小屋』)をプレゼントされました。

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と言っても、オフ会の時のおみやげではなく、後ほど宅配便にて別送して頂いた形です。

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『神なるオオカミ』という非常に面白い小説も同梱されていました。

いやはやありがとうございます。職業訓練校への通勤電車の中で読んでます。

感想

さて本題ですが、既に『僕小屋』の方は読了しているので、感想文を書いてみます。

『書評』ではなく『感想』

なぜかと言えば、そもそも『僕小屋』はタイトルからも察せられるように、『ただの自伝』だからです。Bライフの解説本だとか、そういった類のものではない。

ゆえに『論評』なんてしようがないし、必要もない。

「ふ~ん、そうなんや……」で本来終わりの話である。

しかし記事にしてしまったからには、何かしら書かねばならないので、ざっと感想を述べますと――

 

寝太郎氏って『自閉症』ですよね??

 

いきなりそこかい

正確には『高機能自閉症』、つまるところの『アスペルガー症候群』ですが、それを匂わせる記述がチラホラあります。

僕が病的なぐらいのメモ魔であり、何事に対しても計画的であり、そして一度決めたら機械的にやり通すのも、すべては自由への欲求から生まれたことだ。

僕は依然として、現実のコピーを心の中にそっくりそのまま持ち歩く能力を持ち続けており、記号に対する信頼も失っていなかった。したがって、教科書などは一度か二度読めばすぐに覚えてしまった。 

自分の中の最深部へ降りていったとき、そこに他人がいるか否か。そこに他人がいるという人は、安全地帯にも信頼できる他人が必要なのだと思う。僕の場合、そこには自分以外には誰もいない。だから、安全地帯もなるべく自己完結的なものであって欲しい。

この恥ずかしい秘密が誰かに漏れていやしないか、自分がニセモノであることが些細な言動や表情から他人に看取されてしまうのではないかと怯え、震えていた。自分はますます自閉的になっていった。

まずは文章全体から漂う『自閉感』というか、『一人で世界が完結してる感』(自己完結)ですよね。自分もADHDなので、発達障害ブログをしばしば読む機会があるんですが、一部ブロガーの文章に似た匂いを感じるんです。

あとは『突出した記憶能力の高さ』も、高機能自閉症の典型的な特性の一つです。さすがに『サヴァン症候群』とまでは言い過ぎにせよ、そういった優れた記憶力を発揮する方は珍しくないのだとか。

 ま、所詮は素人判断なので真相は不明ですし、仮にそうだったとして「だから何?」って話ですけど。

そもそも当人にしてみれば、その手のラベリングは大した意味を持たないのかもしれません。

ただ、僕個人に限って言えば、「病気」と言ってしまうのは甘えや諦めであると感じるし、どこか悔しさもある。 

寝太郎氏のパーソナリティについては、自閉症以外にも『分裂なんちゃら』とか色々混ざってるのかもしれませんが、自閉症だけなら『発達障害』なので、『病気』ではないです。

ただ単に、平均的な人とは『種族』が異なるだけ。まぁ少数派であるがゆえの苦労はするんですが。

……というかこの記事、『寝太郎氏は自閉症である』という前提で話を進めちゃってますが、あくまで自分の勝手な判断なので、間違ってたらごめんなさい(土下座

(自分の中ではほぼ確定事項として固まりつつありますが)

一方、現代日本の教育課程において、暗記能力と机上の記号処理能力がいかに重要視されているかは周知のとおりである。僕は自分の能力が、自分の承認願望を満足させたり、この社会の中で自分の人生を推し進めるためにいかに好都合であるのかを知るに至った。

 僕は恋愛経験も少ない方ではなかったし、その中で当然、相手側から別れを告げられたこともあった。

むしろ僕は、これまで本当の貧乏というものを経験したことがないということに対して、つまり、まさに明日を生きるための力強い行動をしたことがなかったという点において、多少の引け目を感じているほどだった。

おそらく、この生きにくさは他人や社会がどう変わったとしても根本的には解決されない。社会が理想的な姿になれば解決されるであろう生きにくさを「社会的生きにくさ」と呼ぶとすれば、僕が感じているのは「私的生きにくさ」である。

 

 あぁ、なんて羨ましい……。

 

当人からすれば『羨ましい』なんて表現は心外かもしれませんが、こちとら『私的生きにくさ』に至る以前に、まだ『社会的生きにくさ』で四苦八苦してる段階ですので……。

古代ギリシャ哲学の例を見ても思うんですが、内的世界で悩めるというのは、『暇』『ゆとり』 を持て余した者の特権ではないかと思うのですよ。

それ以前に『仕事がダルい』とか『老後が不安』とか、その程度の段階で苦労してる自分には、目の前のライフハックに忙しくてそれどころではありません。

もし仮に、自分がそこそこ楽に生きられるようになって(週3労働etc)、暇を持て余すようになったら、フェイズシフトして今度は『私的生きにくさ』が表面化するんでしょうけどね。

もちろん寝太郎氏とて『社会的生きにくさ』はそれなりにあるでしょうし、苦労が多かったことにも疑いはありませんが、それでも日本型教育においては相性抜群だったし、恋愛経験もあるし、実家は裕福だし、ただの自伝を本にして出版するだけの小狡さ(褒め言葉)も備えていますし、何だかんだでたくましく、恵まれているなと思ってしまうのです。

まぁ一方で、ADHDの自分の方が恵まれている部分もあるでしょうし、所詮は『隣の芝生は~』ってことなんでしょうが。

治る治らない、忘れる忘れないではなく、最も明晰で澄み切った思考において納得できるか否かという問題である。そこにしか救いはない。なんとなれば、死の問題そのものが、最も明晰で澄み切った思考において発生したものだからである。

こんなふうに、「なぜ一人が好きなのか」という問い一つ取っても、自分の答えは分裂している。なぜなら、僕自身が分裂しているからだ。一方は死の孤独そのものから、もう一方は生きることに関する逃避や羞恥心から生ずるもので、そしてその両方が相強め合って、気がついたら雑木林の中で小屋暮らしをしていた。

自分の小屋は、そんな巨大な自我の構築の具現化である。借り物ではだめだった。誰かのお下がりでもだめだった。手作りの小屋は、僕の自我そのものなのだ。

『僕小屋』を読むまで、なぜ寝太郎氏がBライフという突飛な生活スタイルへと移行したのか、本当のところは分かっていませんでした。

単に田舎暮らしに憧れていたのか、経済的な理由なのか、ひっそりと暮らすのが好きなのか……。

自分にとっては『生活費を浮かすための手段』『数あるライフハックの一つ』という位置づけでしたが、寝太郎氏にとっては『生』と『死』の両人格にとっての『折り合い』だったのですね。

もしくは言い換えるなら、両人格の『並存』『調和』であり、ひいては『自我の具現化』『自己表現』でもあるわけです。

まぁ後者の二つについては、自分含め、多くのBライファーにも当てはまることだとは思いますが、『社会不適合者にとっての救い』という観点においても、自分と寝太郎氏のBライフは全く別物のように見えて、実は通じる部分もあるのかなと思えたり。

総括

『書評』ではなく『感想』であるがゆえ、グダグダとまとまりのない文章になりましたが、大体こんなところです。

でもま、何というか。

寝太郎氏も言ってますが、得するのは『普通の人』『多数派』『平均値』であって、我々のような『異端者』『少数派』『極値』は損する世の中にできてるわけですよ。

自分と寝太郎氏は全く方向性が違いますし、これから特に接点もないでしょうが、『社会不適合であるがゆえにBライフに行きついた』という点だけは共通してますので――

 

これからもお互い生きやすいように、ぼちぼちやっていけるといいですね。 

 (それと自分がBライフを知れたのは寝太郎さんのおかげなので、その点もありがとうございました)

 

以上

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